2015年6月16日火曜日

保育園卒園後の進学を考える

園庭のじゃぶじゃぶ池でカヌーに乗る
保育園に通い5年目。年長児になり、のびのびと保育園生活を楽しんでいる。
親は、療育センターに促されるように次年度の進学先を見学したり、説明会に参加したりしているところである。
我が娘のような感じの子だと、特別支援校という知的な障害のある子や身体の障害のある子を集めた学校へ進学することが通常のようだ。横浜の場合は、市立は特別支援校と呼び、神奈川県立の学校は養護学校という名称になっているという現状で本来は養護学校という名称は今は使わないことに決まったらしい。

さて、見学に行った感想は、第一に殺風景ということ。学校などという所は、そもそも家庭とは違い殺風景なものかも知れないが、やはり自然に接する場所がまるで無いことが驚きであり、残念でもあった。そいういった子ばかりを集めている学校だから、歩行や移動の道具が教室の前の廊下に人数分(?)置かれていたり、なんとなく病院のようでもあり、危険な物は排除しているという配慮もあるのだろうか、潤いの無い印象だった。

長女は、ほぼ毎日、晴れの日も雨の日も園庭で過ごす保育園に通い(雨の日はタープの下とかレインスーツを着るとか工夫はしているはず)、元気な子どもたちの声や、木々の木陰、小川の水、さわやかな風に触れる環境で育ってきて、大人が予想もしないような刺激を受けてきた。人間が計算して準備するものではなくて、思わぬことが彼女にとっての良い経験となり、成長を促してきたことを実感している。
地域の公立小学校に通う子にとっては、自分の足で道路・歩道を歩き、野山かも知れないし、都市かも知れないが、いろいろな物事に出会いつつ登校するだろう。学校に着けば、仲間に出会い言葉や態度で挨拶を交わしたりと、子どもたちの社会が待っている。その昔、自分が通っていた市立小学校には「ロ」の字型に囲まれた校舎には中庭があり、鯉の住む四角い池や、うさぎの住む金網小屋などもあったし、木も少ないながらには植わっていたり、日々手で触れないまでも、もっと自然的で有機的なものを目にする機会が多かったと思う。

授業は音楽や図工などという科目が多くあることが目についた。見学で通りかかった教室では、数人の生徒の前で、かぶり物と腰にはスズランテープでつくったスカートのような物をお召しになった男性教諭とおぼしき方が、生徒の前で音楽の授業をなさっていたような光景にも出会った。子ども達の反応を引き出そうと、ここまで努力しているとも感じたが、こういうおかしなことは、本来その辺の子どもの得意とするところなので、やはり、いろんな子ども達を混ぜて過ごす環境を作ることに、大人は力を注いだ方がよいのではないかとも考えたりした。

まだ、入学したわけでもないので、知らないことだらけなのは事実だが、何か、もっと我が子の成長の伸びしろを最大限に引き出してくれるような、ハード的にもソフト的にも最適な環境があるところで日々生活させたいと願ってはいる。