2019年8月4日日曜日

長女同窓会でヘレンケラー

長女(小4)、保育園時代の仲間との同窓会をした。
全員には欠けるけど、子供達がみんな集まった。暑い暑い日だったけど、自然の中でたくさん遊んで楽しいひと時を過ごした。
我が子は相変わらず暑さには弱く、すぐに顔が真っ赤になってしまうのだが、大好きな水にたくさん入ったりして、なんとか一日をすごした。「歩き方がしっかりしたー!」とか言ってもらうと、親としても嬉しかたったし、いつも自然に接して、何かと助けてくれる子供達と親達には感謝している。

当然のことではあるが、みんな体が大きくなってびっくりした。男の子はあいかわらず無邪気に遊んでいるように見えるけど、お嬢さん達は一年前はもっと気楽におじさんにも話しかけてくれていた子が、すっかり小学校高学年の態度になっていたり、保育園の時には表現できなかったような話しをしてくれて、そんなことも楽しい出来事だった。
なかでも、うちの長女と何かと一緒にすごしてくれた女の子が、森の中で遊んでいる時に「ねぇ、ヘレンケラーって知ってる?」と聞いてくるものだから、「知ってる知ってる」と答えて「なんで?」と返したら笑顔が返ってきて終わってしまった。

保育園時代に5年間、うちの子のようなハンディがある子供と毎日毎日一緒に過ごして、仲間の一員として保育士や親達も接してくれた。その後住まう地域が違うこともあり、あまり顔を合わせることなく成長してきているわけだが、この仲間達がもっと大きくなった時に、ようするに障害者ということにどういう思いやイメージを抱く人になるのか、とても興味を持っている。
我が子を家のなかに隠して育てず、他の子たちと同じようにどんどん世の中に出して育ててきたのは、健常な子供のようには何でもできないし、自分一人では行動できないけれど、同じ世代の人間達にも一人の人として幼い頃も成人してからも見て欲しいとも思うからで、このヘレンケラーという歴史上の偉人が、かすかに知っているあの子と共通する所があるのかもと淡く気づいたことに結びついているのだとすれば、我が子をこうして育ててきた一つの成果のように思える。

保育園時代には海に行くにも、山に行くにも仲間達のお父さんお母さんが手を貸してくれて、あちこち背負ってくれたり、さっと気づいた子が我が子に手を差し伸べてくれたり、本当に今思い出しても涙腺がゆるくなる出来事がたくさん思い出されて、こうして受けてきたありがたいみんなの気持ちをいろいろなシーンでこれから返していければなと思っている。