2013年8月13日火曜日

物事を消化する時間

お手伝い(次女1歳4ヶ月)
保育園のイベントに夕涼会(ゆうりょうかい)というものがある。ザリガニ釣りやお好み焼みたいな軽食などもあり、地域の夏祭りのようではあるが、その根底には、日常は昼間しか滞在しない保育園の園庭で、美しい夏の夜を静かに味わい過ごすという考えがある。
この日は保育園に車で来ないことになっている。それは、特に帰りみちの時間を、家族で楽しかった出来事などを語らい、家路について欲しいという考えがあるからだ。
我が家は保育園から遠いこともあって、最初はやや不満を抱きながら公共機関で帰宅したのだが、このイベントも三回目の参加となる今年は、趣旨に充分賛同できるようになった。
帰りの時間には、保育園の外の小道にローソクが燈され、夏らしい幻想的な空気が漂う。
さて、毎日こどもを保育園に送り、車に乗ると、途端に仕事場に向かうことになる。家庭から仕事に気持を切り替えるギアチェンジは、そのギャップが楽しくもあり、少し力のいる動作でもある。時にはコーヒーを飲んでみたり、ひと通りニュースをチェックしてみたりすると、すんなりギアチェンジできるように思っている。
ツイッターなんかで、いろいろ情報が入ってきて、読んでみたい本が出てくると図書館で予約をする。一週間後だったり長い時には三ヶ月後なんかに最寄の地区センターに本が届く。
読む時間は正直少ない。育児時間でもなく、仕事時間でもなく、家事時間でもない自分の時間は貴重だから。まぁそれでも読みたいと思った本は読むのだか、なんというか、本の世界に入って感じたことや感化されたことや、いろんな物事を自分の物にするための時間が取れないと、どうも消化不良になって気分が悪い。食べ物の消化不良は戻すとか下すとかして解決するのだけど、読書の消化不良は、なかなか爽快になれずに引きずり続けているような気分だ。
たぶんサラリーマン時代は一日三時間近い通勤時間に、そういった物事を消化していたのだろう。自分の時間の使い方、設計を良くよく見直したい。