2013年8月18日日曜日

映画「風立ちぬ」鑑賞記

久方ぶりに映画館に行った。
多分、こどもが出来てから行っていなかったのだと思う。
23時10分開始のレイトショーだ。
自分の時間を満喫した気持ちのまま、感じたことを記しておこうと思う。

監督さんが試写で感涙したという評判だが、あまり泣ける感じではなくて、何が印象的だったかというと、昭和初期の人々の礼儀正しさだったり、家庭や親子の間での言葉遣いなどの描写に感銘を受けた。
当時のちょっと上流な人々が主役なこともあるだろうが、妹が「にいにいさまー!」とか言うのは新鮮だ。

自分自身、徐々にスマホ依存度が高くなっていることが気になっている。
携帯電話が普及し、インターネットが普及し、日常生活のノウハウは様変わりしたと思う。携帯がなければ人と待ち合わせするだけでも、今とはまるで緊張感が違ったのはほんの少し前の話だ。もちろん平成の事だ。
インターネットやソーシャルネットワークやいろいろな手段があって、ニュースもほとんどリアルタイムで知ることができる。新聞はまるで新しくない情報という時代になった。とても素晴らしいことではあるけれど、携帯やスマートフォンを手にしていれば何でも知ることが出来ると、肌身離さず持っていないと自分の肉体だけでは何も出せないような、人と会話するにしても何も情報を出せないような気持ちになって、つい依存症や中毒になりそうだ。そして、選択肢がたくさんあることで、より情報を精査しないと判断できないということも面倒なことだ。そもそも素早い判断というものは、情報をすべて洗い出していちいち比較して結論を出すことではない。直感とまでは言わないが、過去の経験が蓄積された脳みそで即座に決めることだろう。

もう一つ。これは少年の頃から変わらぬ悩みなのだが、物をたくさん持ってしまって片付かないこと。
この話のような昔(といっても近現代)の生活を垣間みると、いかにもシンプルに暮らしているように感じる。今みたいに、くだらない物が量産されたりしていない分、何にしても人間が作った物は、格段に大切に扱う生活をしていたと思う。
そんな姿を見て、なんとか自分のこの仕事部屋ももっと片付けねば、と思う次第だ。

堀越さんが、実に堅実に仕事をしているように思える。
自分自身、今は小間切れの時間を見つけて精一杯仕事をしている状況なので、計画的に着実に仕事を進めている様子が素晴らしく見えた。私生活では、なほ子さんの事情に振り回されたりして、決して地に足がついているとは言えないようにも思うが、126分という時間はアニメ映画としても標準的なのだろうか、この恋愛の経緯を描いた時間が少なく感じたりもしたので、彼の私生活も美しいと感じられる水準に描かれていた。

映画館で映画を見るということは、自分の意志で映画館に行くにもかかわらず、自分の意志ではトイレ休憩もできないし、手を上げて伸びもできない。敢えてこういう状況で映画に集中するのは、自宅で映画を観るのとは全く違ってよい時間だ。
そんなことで、何事にも緊張感とかケジメとかメリハリとか意識して生きていきたいと思う。過度な緊張は人間関係の生産性を落とすという部分もあるとも思うが、よいバランスを意識したいものだ。