2013年12月31日火曜日

テレビは見ないー情報を得る方法を考える

テレビを居間から除いて半年程経っただろうか。おかげで今までより時間を有効に使えたり、子供に気持ちを向けたりできるようになってよかったと思っているが、妻の気持ちは収まらずに多少困ってもいる。 テレビは情報入手のメディアとしては、一般家庭での最有力候補なのかも知れない。テレビを見なくなって、どうやって世の中の情報を得るのが良いか、日々僕なりに考えてみていることを、それぞれのメディアの特徴を洗い出して書いてみよう。批判的に激昂してしまうのは不本意だが、正直な思いを書いてみる。

インターネット系

僕の場合は結局インターネット経由の情報が一番都合がよい。何よりも大きい点は、自分が知りたい時に情報を引き出すことができることだ。ニュースや天気予報はAndroidのニュースアプリで事足りる。明日の天気をチェックするのには、ジーンズのポケットからスマートフォンを取り出し10秒とか20秒とかあれば十分だ。ニュースをアプリで知って、それをみんながどう感じているのかなど、より掘り下げて知りたい場合は、ツイッター検索を使ったりもする。ツイッターなどSNSの情報は他のメディアより格段に早いことも意味があると思う。なにしろニュースなのだから。

以下は非インターネット系

総じて言えることは、番組が放送される時間軸はメディア側が決めること。情報を得る側はそれにあわせて時間を拘束されることになる。新聞はやや自由とも言えるが。

ラジオ

今、我が家のリビングではラジオをよく流している。ニュースや天気予報などを知りたい場合には、AmのNHK第一を、休日や音楽を聞きたいときにはFmのJ-waveを聞いていることが多い。ラジオはよく聞けば適宜ニュースなどを伝えてくれているので最低限の世の中の状況を知ることができるが、何かに集中したり子供に視線を送っていたりすると、あまり何を話しているのかは耳から脳に入ってこない感じがする。あとは、テレビではまずあり得ない番組をやっていたり(例えばライフハック系のプロを朝からゲストに招いてインタビューするとか)、非芸能人が多いのも自分の実生活に生かせる情報源として価値がある。あとは地域を絞った放送も多いので、全国の天気予報など不必要な情報が少ないシーンもお多い。

新聞

これだけデジタル媒体が便利に使えてくると、僕は紙の新聞はあまり読む機会はない。たまに読むと、文化面とか日曜版とかの記事に興味を覚える。それから、読み終わった新聞の処理も面倒というか、完全に読んだわけでもない古新聞をゴミとして処理することに疑問を感じたりしてしまう。閲覧性が良いという意見も良く耳にするが、僕の場合このポイントはたいした意味はない。

テレビ

さて、懸案のテレビだが、目と耳を使うメディアはやはり分かりやすさやエンターテイメント性などで他を圧倒していると言えるだろう。それゆえにテレビに慣れていない僕などは、一度見始めるとなかなか離れることができなくなってしまう。楽しいから。それは子供にも言えることで、釘づけになってしまい口をぽかーんと開けているようなことになり兼ねない。人間の成長過程である子供時代には、この地球を動かしている自然や天然の繊細で美しい世界を存分に味わってほしいと、僕は思っている。テレビの強烈な映像は強い刺激を与え、脳裏に焼き付く。テレビの世界に慣れていると、静かでおくゆかしい天然の変化を感じる感性が鈍ってしまうような気がする。
こう書いていても、テレビの有用性は大いにあることは否定できない。基本的にバラエティー番組は嫌いだが、ドキュメンタリーとか映画とか生活の糧になりそうな番組もたくさんある。スポーツの放送もぜひ見たい。だから、必要な時にテレビを見る。そしてだらだらと日常的に見ることは不必要だと思っている。