2014年3月9日日曜日

「最重度の障害児たちが語りはじめるとき」読中

最重度の障害児たちが語りはじめるとき保育園の先生に、「あの本読みました?」みたいに聞かれて、慌てて図書館から借りてきて読んでいる。そもそも保育園の父母の会の便りに紹介されていて、その時は素通りしていた本だ。
読み始めて、もう目から鱗だ。うちの娘も言葉を使うことができるのかも知れないという、大きな期待を抱いてしまう。実は、アマゾンのレビューでも、やや評価の低い記事があったこともあり、どんなものか?と多少疑っていたし、期待もしていなかった。期待していなかったことが、逆に素直に読み進めていけることになった気もする。まだ、読書半ばなのだが、興奮のあるままに少し書いておこうと思う。

「最重度の障害児たちが語りはじめるとき」中村尚樹著 草思社刊。著者の中村氏はジャーナリストでNHKの記者などを経験し、脳障害関連の著作が他にもあるという方で、著者が國學院大学の柴田教授の実践を取材した内容を中心にまとめている。
本の構成も洗練されている感を受けた。(まだ読み終わってないが。)取材を記すことを中心に据えるのは、難しい著作のような気もするが、文章もすんなり読める。
さて、最重度の障害者ということは、身体を自由に動かすこともできず、ストレッチャーで生活し、表情の変化も少なく、とても言葉を理解したり言葉を使って思考したりはできないと思われる人だ。けれども、自分の意志で動かせるわずかな部分を使って、パソコンの50音表を操作して文章を紡いで行く。それは、親への感謝の気持ちだったり、これまで周囲に人として認められなかったことへの思いであったり、実に深い思いを吐露し、中には素晴らしい詩をつくる人もいる。
障害を持つ子の父親として4年と、まだまだ日は浅いが、最重度の人たちがどういう生活をしているか、少しは想像ができる。そういった人たちが、このように教えられもしなかった言葉を既に身に付けていて、それを駆使できるまで自分の内だけでそれまで十年も十数年も持っていた、ということも驚愕だ。特に「気持ちを表すことのできない中で、想像上の友を作り、その友に自分の悲しみを伝えてやわらげている」というくだりも衝撃的だった。これはもしかすると、うちの娘もそんなふうに他者とのコミュニケーションが満足にできない部分を、何か自分の頭の中で消化する手段をつくりあげている、つくりあげようとしているのかも知れないと思うところだ。
また、小学校中学校と地域の普通学級に通った男性のことばを一部引用しよう。
「学校というところでは、何が一番大事かというと、よい仲間を作ることです。残念ながら、長い学校生活の間に満足のいく友達関係はなかなかできなかったけれど、ぼくは仲間とすごした時間が忘れられません。仲間はぞんぶんにぼくのことを冒険に誘いだしてくれました。仲間は『ごめんなさい』と言いながら、ぼくの前を走ってくれました。そういうあたたかいふれあいこそが、ぼくの生きる支えでした。」
まだ読書半ばなので、読了してから改めて書くことにしよう。そして、幸い柴田先生の活動地域はとても近くなので、何か接点を求められればとも思う。