2014年8月20日水曜日

好きな絵本

瀬川康男さんの絵は好きです
こどもが好きな絵本ではなくて、僕が好きな絵本のはなし。

ものを覚える幼児期には、美しい絵や正しくきれいな言葉にたくさん触れて育ってほしい。特に、絵本というものは、親がふだん使っていることばではなくて、絵本の作者のことばを親が我が子に読み聞かせるということができるものだ。親はきれいな絵が書けなくとも、うつくしいことばを紡ぐことができなくても、一流の絵を見せて一流のことばを発することができる。これがすばらしいのだと思う。

動物の絵は写真では簡単に撮れない
アングルの動物も、すてきに描いて
くれます。
絵本の絵は、第一には写実的なものが基本的にはよいと考える。それはこういうわけだ。
こどもは、日常生活では出会いもしない動物に興味を持つ。そんなものに興味が湧かなければいいと思うのだが、やはり特徴顕著な動物たちはこどもたちにとっては、大切な仲間なのだろう。絵本やこども向けのおもちゃなどにも、アフリカ系の動物は常に登場する。僕は、自分の周囲の物事から世界を知って、それから遠くのことを知ったり学んだりするのが自然だと思うが、そんな思いは叶わずにあちこちでデフォルメされたゾウやライオンやシマウマやいろんな動物に出会ってしまう。あちこちにあるので仕方ない、せめてデフォルメされた動物ではなくて正しい姿の動物をまず知ってもらいたいと思う。

美しい絵ということをいえば、やわらかいタッチの絵、にじんだりかすれたりがあるような絵が、僕は好きなのだけど、そういう絵はこどもに受けないことが多い。うちの子の場合。やっぱり、1歳2歳くらいの子には、色がはっきりした輪郭の境界がはっきりした絵が合っているのだろう。こどもに受けなくては、読んでいる親と聞いている子のコミュニケーションの深まりにつながりにくいので、仕方ないからこどもに受ける絵本を読む。

それから、これは趣味の問題だと思っているが、しっかり書き込んだ感じの絵なのに、実物と違うというか、そういう動作はあり得ないとか、そういう模様はあり得ないとかいう絵によく出会う。たとえば、ホルスタインという日本では牛の典型のような種類の牛がいるわけだけど、その顔の白黒模様はだいたい眉間が白で左右の目の周辺が両方黒いらしい。確かに画像検索とかしてみても、そのようだ。けれども、あちこちに出回っている牛の絵は片目の周囲を黒く描いたものがとても多い。漫画みたいな絵なら特に違和感を感じないが、絵本作家が緻密に書き込んだ絵で、こういう描写に出会うと違和感を感じる。

反対に、写実的でない絵の場合は、ダイナミックなものや、自然な空気感が伝わるものがよいと思う。いきいきとした筆遣いが伝わる絵もいいし、昔話なんかでほのぼのとした調子の農村が描かれていたりするのも好きだ。

赤羽末吉さんの絵は素朴な感じです
田島征三さんの絵はいいです
それから、これは我が子の通う保育園の受け売りのようなことになってしまうが、キャラクターの絵本はやはり好ましくないと考える。キャラクターという要素に注視してしまうと、こどもが絵本の本質に気づかなくなってしまったりすること、そして、友人関係にキャラクターという媒体が過度に影響を及ぼすようなことは、いいことではないと思う。
地味な絵本独自のキャラクターというのもあるが、シリーズものとして発展したりしてグッズが出てきたり、いわゆるキャラクター商品に近づいてしまうと、おもしろくないと思う。手堅い絵本出自のキャラクターは、絵本の中のキャラクターとして一生を終わってほしい。