ニュース(報道ステーション)で見たが、Muse細胞というものを使って、新生児の低酸素脳症を治す治験をするとのこと。
損傷を受けた脳細胞が発信する信号を、血管に注射したMuse細胞というものが察知してMuse細胞が損傷を受けた細胞に成り替わるらしい。
治験は新生児の低酸素脳症を対象にするとのことだが、脳性麻痺や脳梗塞などにもという話しだったと思う。
障害児の親を10年やってきた者の意見だが、こういう治療はあまり賛成ではない。
成人への治療ならまだしも、幼子のしかも何と言うか、人格が未だ熟成されていない新生児に治療するというのが、余計にたちが悪い印象を受ける。
障害児の親でもいろいろ考えがあると思うし、もしかすると治療大賛成という意見が多いような気もする。
遺伝だったり、突然変異だったり、事故的な要因だったり理由はさまざまだが、とにかく低酸素脳症までなってしまうと、肢体に影響が出たり、知的に影響が出たりするわけだが、今の医学では、もうそうなってしまったら簡単には改善しないし、元通り回復はしない。のだと思う。ケースはさまざまだろうが。
子どもが健康に育つと信じていた親は、この事実に直面すると大変ショックだ。今でこそ簡単にそんな風に書けるけど、自分自身もショックだった時期を乗り越えてきた。
少しでも良くなれば、少しでも出来ることが増えれば、という親心はよくわかるし、自分も日々、我が子に対して、こういうことも身に付けられたらなぁ、と高望みしている。
でも、人間が壊れた脳細胞を治すということまでしてはいけないのではないか。その考え方が、今の我が子を否定するような思考にはならないか。ひいては障害者・障害児を否定するような考えにならないか。という風に心配してしまう。
明日をも知れぬ、生死の狭間を生きている子どもが今も居ると思うと、安易なことは言ってはいけない気持ちにもなる。自分の子どもが今、生死の不安がないからこそ言ってしまえることではある。それでも、人間が医学の力で足を踏み入れて良いのかどうか、今一度みんなで考えていけたら。そう思う。
相模原のやまゆり園の事件、裁判をちょうど今日もしていた。彼は世論の賛成を得られると思っていると主張しているようだが、反省の無い態度に世論はすっかり冷めたと感じている。
世の中には健常者と障害者だけではなくて、いわゆる健常者にもひとりひとり全く違う能力や性質や性格を持っていて、障害者とか健常者とかいうくくりでは捉えきれないのが人間だと思う。障害者と向き合っていると、そういうことにも気づかされる。
障害者と一緒に生きているからこそーーー。
障害者の居る社会だからこそーーー。